今まで僕は計4回、本気で筋トレを習慣にしようとしたことがある。
あらゆる情報ソースをたどっても、筋トレの効果はこれ以上ないほど有意義だったし、実際、鍛えられた身体に憧れもあった。
しかし、様々な原因でそれは長続きしなかった。
子育てに追われる、ケガをする、転職をする、etc
すべての場合で、生活の荒波が筋トレという若い習慣の芽をことごとく飲み込んだ。
4回目などは、「これで筋トレが続かなかったら、俺を雑魚だと罵ってくれ!」と妻に嘆願した。
そして僕は、正真正銘の雑魚となった。
妻は、僕の筋トレが続かないことを見越して、その提案を受け入れることもしなかった。
僕の雑魚さはこれほどまでにひどい。
さて、ところで今僕は生涯5回目の筋トレ中である。
もう無理だ、と自他ともに思っていたが、とりあえずは一ヵ月続いている。
今回は、ちゃんと勉強をした。
筋トレの勉強ではない。
「習慣の作り方」の勉強だ。
行動はいかに習慣となるのか、そのコツは何か?
今まで自分はなぜ筋トレの習慣化に失敗し続けたのか?
それを考え、その答えをいつものごとく本に求めた。
そして、見つけた。
アゴが外れんばかりの衝撃の書籍。
その名も、、、
「Atomic Habits」
和名は「ジェームズクリアー式 複利で伸びる1つの習慣」
である。(和訳センス・・・)
この本を読まずして習慣を作ろうとしていたこと自体が失敗なのではないかと思えるほど、充実した内容だ。
とにかく具体的で、わかりやすい。
僕のような三日坊主でも、これはひょっとしたらひょっとするぞ、という気さえする。
今日は、僕の過去を事例に、誤った習慣の作り方を紹介し、最終的には習慣作りのコツ、核心に触れたいと思う。
何か習慣を作りたい人には是非読んで欲しいと思う。
Contents
習慣が続かない理由① 結果ベースで習慣を始める
習慣、つまり行動の継続が成功を呼ぶことは広く知られている。
イチローは「日々の積み重ねがとんでもないところへ行くただ一つの方法だ」と言ったし、
「習慣は人格を変え、人格の変化は運命の変化をもたらす」というような言葉もある。
とにかく、継続しないと大事は成し遂げられない。
そして、人が願い求めるものの多くは、行動の習慣化の先に準備されているものだと考えられている。
ということは、である。
ということは、推測するに、過去の僕を含めて多くの人は結果ありきで習慣を作ろうとしているのではないか。
・魅力的な身体を手に入れるため筋トレを習慣化する
・良いところに就職や転職したいから英語学習を習慣化する
・家で稼ぎたいからプログラミング勉強を習慣化する
・有名になりたいからブログやSNSの更新を習慣化する
などなどだ。(全部僕の願望ですw)
過去の僕もまさにこれで、筋トレを始めた。
毎日筋トレをすれば、良い感じの身体を手に入れられると思ったのだ。
しかし、もうご存じの通り、その試みは4回失敗した。
これは本当に僕の雑魚さ、根性のなさだけに起因しているのだろうか?
もしかしたらそうかもしれないのだが、本によると実はそうではない。(本はいつも僕に優しい)
習慣は、結果ベースで組み立てると、崩壊する。
大事なことだからもう一度。
習慣は、結果ありきで作り上げようとすると、とん挫するのだ。
なぜか?
それは、習慣の本質を無視することになるからだ。
そもそも習慣とは何かというと、ずっと続けることである。
例えば、理想の身体が手に入ったら、次の日からあなたは筋トレをやめるだろうか?
本当の意味で筋トレが習慣化されていれば、そうはならないだろう。
これは想像でしかないが、それをしない自分は自分ではないような気持ちになってくるのではないだろうか。
試しにゴリマッチョの我が弟に同じ質問すると、「筋トレは生活の一部だからやるに決まってる」という、なんとも雑魚の兄とは比べ物にならない真摯な意見が返ってきた。
何が言いたいかというと、習慣の本質について話したいのだ。
結果は習慣にとってただの副産物に過ぎない。
ズバリ言うが、習慣の本質とは、「アイデンティティの形成」なのである。
それをやるのが、自分であり、自分だからこそそれをやる。
それが習慣というものである。
良い身体だけをモチベーションに筋トレをしようとすると、たいてい次のようなことが起きる。
①最初は頑張る
↓
②身体に変化が感じられない
↓
③もっと負荷や回数を増やさねば
↓
④今日も筋トレか、しんどいな
↓
⑤そういえば今日はあの仕事があるんだった筋トレは明日にしよ
(三日坊主完了)
という具合である。
専門的に言うと、成果の見えない一回一回の筋トレに満足できないこと、そこに全ての原因がある。
結果ベースで習慣を構築すると、結果に近づいたという感覚が筋トレの一回一回にないと満足できないのである。
そのため、必然的にオーバーワークとなる。
精神的にも肉体的にも、である。
ではアイデンティティの形成を習慣の目標にしていたらどうであろうか?
すると、一回一回の筋トレが、目には見える成果はなくとも、満足できるものに変化する。
「俺はアスリートだ」とか「俺は日々成長する人間だ」とか「俺は強くなる人間だ」というようなアイデンティティをもつ人間になることが目標ならば、一回一回の筋トレは、確かにそのアイデンティティへと確かな一票を投じていることになる。
こうして、身体の変化はなくとも、アイデンティティの確立が強力なモチベーションとなって、行動の習慣化を支えるのである。
すると、このようなループが生まれる。
筋トレをする
↓
「俺はアスリートだ」
俺はアスリートだから
↓
筋トレする
という循環である。
この状態に来て初めて、習慣は標準化された、と言える。
つまり生活の一部になったということである。
習慣が続かない理由② 頻度より強度を重視し過ぎる
さきほどの話とかぶるが、良い習慣を身に付けるときまずしなければならないのは、習慣の標準化である。
これは、言葉を変えると、「定着」、という意味だ。
習慣は、まず定着が最優先なのである。
しかし、多くの人は、これの逆をやる。
習慣をまず最適化させようとするのだ。
過去も僕もそうだ。
最も筋肉がつきやすい筋トレは、最大8~12回の強度の種目を各3~4セット、1分間のインターバルで行うことだ。
これにより集中的に筋繊維を傷つけることができる。
しかし、これは相当なハードワークだ。
最後のセットなどは、うめくような声をあげながら、コスモを感じることになる。
アイデンティティが確立していない状況下で、これを仕事帰りにやれという方が無理な相談である。
(できる人もいるのでしょうが、そんな人はこの記事を読まないだろう)
習慣を最適化するのは、標準化が完了した後にしなければならない。
ということは、ある程度アイデンティティの支えが得られるまで、習慣はごく簡単なもので良いということだ。
その期間に最重要なのは、習慣の頻度である。
強度ではなく、頻度。
これが肝である。
行動の頻度をあげることで、アイデンティティを早急に作り上げることができる。
アイデンティティの確立は、無意識の領域にゆだねられているのだが、この無意識というやつは頻度にしか興味が無い。
週2回どれだけうめいてコスモを感じるベンチプレスをやろうとも、毎日腕立て伏せを5回やった方が、アイデンティティが刺激され習慣ははるかに早く標準化される。
天秤の片方に砂粒を一粒ずつのせていくイメージだ。
最初は「その行動はあたりまえではない」ほうに天秤は傾いている。
しかし、毎日毎日逆側に「やる」という砂粒を乗せていく。
するとあら不思議、天秤は傾きを変え、その行動は「やるのが当たり前」になる。
これが、習慣の標準化である。
最適化はその後の作業となる。
まずは、行動の頻度を最優先して、この天秤の傾きまで継続していくことが賢明なのだ。
おわりに
今日も僕は懸垂をした。
まだ習慣の芽は摘まれていない。
この「Atomic Habits」理論でどこまでいけるか、また報告をしようと思う。
さて次は、具体的に習慣を続けるコツをもっと細かく実用的な視点から解説したいと思う。
以下の記事で会いましょう。
↓
では、またね。
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