どうもこんにちは。
いきなりですが、人はたまに「もうダメだ」となります。
自分にも、もちろん経験があります。
悩みがあって、それをどうにかしたくても、どうにもならなくて、気力だけが奪われていく。。。
そんな状態ですね。
今の自分ではどうにもならない問題に直面した時、人間は想像以上に弱いものです。
さてそこで、今日は悩める現代人に文豪のありがたいお話をいただきます。
大江健三郎氏のエッセイから、悩みを抱えたときの生きる知恵を学びます。
Contents
とりかえしのつかないことさえ、しなければ
氏は言います。
“とりかえしのつかないこと”さえしなければ、人生何とかなる、と。
とりかえしのつかないこと、とは、一度壊れると絶対に元に戻せないもの、です。
つまり、命です。
人は抱えきれない悩みと対峙し続けると、いずれ気力が底をつきます。
そうなると、“とりかえしのつかないこと”への耐性がぐっと減ります。
大げさでなく、生命の危険にさらされるわけです。
そんな時、どう生き延びるか。
どう、問題と向き合えばよいのか。
文豪の生きる知恵をのぞき見してみましょう。
※以下は、以前Facebookに投稿したものとほぼ一緒です(手抜きをご了承ください・・・)
問題は( )でくくれ
日本に2人しかいないノーベル文学賞受賞者の1人、大江健三郎。
彼は著書で、21世紀を生きる若者へ一つだけ言葉を贈るとしたら?と考えてこう言った。
「取り返しのつかないことをしそうになったら、しばらくの間待つ力を発揮しなさい」と。
ここでいう取り返しのつかないこと、とは生命にかかわること、すなわち自殺と殺人である。
その衝動に駆られたとき、しばらく待つ力を出せ、というのだ。
しばらく待つ、とは数学で例えるとカッコで括り、多項式をAと置く、みたいなことだ。
複雑な数式も共通項を単純な文字式に置き換え、それ以外の部分の計算を進める。
すると、そのAが約分されたり、あるいは消えてなくなったり、また、代入し直すと綺麗な計算式に変換されたりする。
この、Aと置くというプロセスは、その複雑性や問題性を一旦脇へ置いておき、その他自分が進められる領域へと自分の力を注力するということである。
しかし、我々にも経験があるように、Aと置いたところで、数学的問題が解決しないことも多々ある。
Aを元に戻しても結局、何も変わってなかった、骨折り損だった、というような…具合である。
その点、現生活における「しばらく待つ」行為は、やや優れている。
というもの、手に負えない問題や複雑性や困難をとりあえず脇へ置いておいて、その他の生活を進める、というプロセス自体は数学の時となんら変わりない。
しかし、数学では起こりがちだった、その他の計算を進めてAをもとのものに戻した結果、何もならなかった、という事象は、この場合起こる可能性が低い。
なぜなら、実生活の場合、特に若者においては、「しばらく待った期間」=「問題を脇へやっておいた期間」に、他の環境プラスアルファ、己自身が成長という変化を遂げているからである。
しばらく待つ力、とは、言い換えれば、自らが成長する間なんとか問題から自己を守り、自分の生命や尊厳をつなぎ止める力なのである。
↓↓この文庫本に収録されているエッセイが元です。
「自分の木」の下で (朝日文庫)
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