どうも。ダイチです。
最近ある本を読んでめっちゃ面白かったので、紹介します。
これです。
小説のような、哲学書のような、コメディの脚本のような、自己啓発書。
勇気づけられて、賢くなったような気がして、知的に興奮しました。
マトリックス、トリニティ、レゲエ、ボブ・マーリー、スロット、阿弥陀如来、ビックバン、素粒子物理学。
好奇心をそそるモノのごった煮、って感じでした。
どうしても書き留めておきたい!いう考え方を学んだので、つらつら書きます。
どうか、一人でも多くの方の常識がくつがえされますように!(^^♪
Contents
悪魔は言った、「“正しい”なんてものがあるから貴様らは苦しむのだ」と
最初に次の1~3についてYESかNOで答えてください。
- 会社や学校には遅刻するべきではない
- 人は太っていないほうがいい
- 目上や年上の人には敬語を使うべきだ
どうでした?
3つともYESでしたか?
あー、それはそれは、苦しみたがりですね。
YESの個数が多い人ほど「常識人」であり「大人」と呼ばれます。
僕らが生きているこの世では。
それは、僕たちの大部分が共通した“正しさ”というものをもっているからです。
1~3なんてその典型ですね。
でも悪魔はこう言います。

「自分の中に“正しさ”を1つ抱えるということは、“正しくないこと”を1つ抱えるということだ」と。
目上の人に敬語を使うのが“正しい”という強い価値観をもつと、同時に目上の人に敬語を使わないのは「悪」だということになりますね。
「悪」とは、単体で存在するものではありません。
必ず対になる「善」が存在するのです。
「善」の基準を多く持てば持つほど、同時に多くの「悪」の可能性を持つことになります。
それも知らず知らずの内に。
そして、その「悪」という地雷の多さゆえに苦しむことになるのです。
苦しみの原型は「葛藤」です。
A 他人に迷惑をかけるのは「悪」。
B 自分のやりたいことから目を背けるのも「悪」
じゃあ、どうすればいいんだ!と苦しむことになる。
でも元をたどれば、そもそもの原因は、他人に迷惑をかけないのが「善」であり、自分の心に正直に生きるのが「善」である。
という“正しさ”を持っているからですよね。
“正しさ”がないところに「悪」はなく、「悪」がないところに苦しみはない。
それが、悪魔の主張なんです。
決まった“正しさ”を一つも持っていない人は、苦しむことはないんだそうです。
コインに裏表がなくなるのは、コインそのものがなくなる時だ
ものごとには必ず、表と裏の面がある、と悪魔は言います。
一枚のコインがあるとします。
それを、0.1ミリずつ削っていきます。
最後の最後の最後の瞬間まで、裏と表があります。
表と裏の概念が消えるのは、コインそのものがなくなった時だけです。
このコインの表裏は、メリット・デメリット、欠点・長所などと言い換えられます。
例えば、「敬語」の例で考えてみましょう。
目上の人に敬語を用いることのメリット
- 常識人になれる
- 目上の人に好かれやすい
- 無用な争いが起きない
目上の人に敬語を用いることのデメリット
- 心理的距離が縮まりにくい
- 目立たない
- 流暢にしゃべれず、勢いがない
コインの表裏に優劣はない
で、また悪魔は言います。
本来、あらゆる行動のメリット・デメリットの総量は等しい、と。

敬語を用いるメリットとデメリットの総量には差はない。
つまり、敬語を用いることと用いないことのメリットの差は本来、ない。
差があるように思えるのは、それは僕たちが決まった“正しさ”を持っているからです。
目上の人を敬うべきだという「善」が蔓延しているせいで、そこに差があるように感じられるだけだと言います。
すべての“正しい”が消え去った世界では、あらゆる行動がフラットなんですね。
当たり前ですが。
その“正しさ”はどこから来たの?
究極には、持っている“正しさ”をどれだけ手放すことができるかで、その人の生きやすさは決定されます。
理想は、“正しさ”ゼロ、なのだと悪魔は言うわけです。
まぁ、そんなことはちょっと無理かな~と読みながら思ったわけですが、ここで一つ思い浮かんだことがあります。
それが“正しい”って、どうやって思うようになったのか?ということです。
僕らは知らず知らずの内に様々な“正しさ”を植え付けられています。
例えばこんなの。
- 人に迷惑をかけてはならない
- 人の役に立たねばならない
- 約束は守らなければならない
- 期限は守らなければならない
- 無駄遣いをしてはならない
- 人と違うことをしてはならない
で、これって、だいたいが親とか先生とかから教わります。
何が言いたいかって言うと、
自分で決めたわけでもない“正しさ”のせいで苦しんでいませんか?
ってこと。
こんなバカバカしいことはないと思います。
自分の中の“正しさ”を減らせ!持つなら納得し、覚悟せよ!
というわけで、結論めいたことを言います。
人が苦しむのは、その人の持つ“正しさ”のせい。
“正しさ”は、反対の“正しくないこと”=「悪」の概念を生み出してもいる。
“正しさ”を持つことは、苦しみの種を持つこと。
しかし、“正しさ”ゼロで生きていくことは無理だと思われる。
自分以外の人が決めた“正しさ”を鵜呑みにし苦しむのは、ばかばかしい。
だから、
自分が本当に本当に“正しい”と思うことを精選しよう。
そして、なるべく“正しさ”を手放そう。
ということになりますな。
“信念”とかって言えば聞こえはいいけど、言い換えるとただの“苦しみのタネ”です。
それを持つことは、大きなリスクです。
お気をつけて。
これから読みたい!さとうみつろう氏の本
どうやら、作者のさとうみつろう氏は悪魔との前に神様ともおしゃべりしているようです。
読んでみたいです。
それから、とにかく今気になっているのがこれ。
タイトル素晴らしい。。。
みなさんも、是非どうぞ。
ではまた!!
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