どうも、ダイチです。
そろそろ人の役に立つ記事を書きたいなぁ、と思っていまして。
今日は、僕の体験から少しは需要があるんじゃなかろうか、というものを形にしてみました。
テーマは、ズバリ
Contents
うつ病の人の頭の中はどうなっているのか?
ということです。
僕がうつになったのは、大学生のころ。
超ウルトラスーパーテンションMAX激ヤバスケジュールのせいで発症しました。
くわしくはこちら↓↓
うつ病の原因はストレス、過労。
そんなことはみな知っている。
うつ病の症状は?
それもみんなだいたいわかると思う。
うつ病の治し方は?
たくさんの情報が溢れている。(嘘もホントもね)
じゃあ、うつ病の人がどのように苦しんでいるか知っていますか?
なぜ、絶望的な気分になるか知っていますか?
今日は、そういうお話。
家族や友人がうつ病になってしまったとき、どのような言葉をかけてあげたらよいのか、どんな風にふるまえばよのか、ということは身近にうつ病の人がいる人にとって永遠のテーマですよね。
そこで、うつ病状態にある人が、どんな風に物事を考えているか、ということをお伝えしようと思います。
そうすれば、うつ病に苦しんでいる人の支えとなるような言葉かけや行動ができるようになるでしょう。
大切な人の笑顔のために、少しでも知識を蓄えていってくださいね(^^)/
最初にお断り
さてまず最初に断っておきますが、どんなに著名な精神科医の先生でも、正確にうつ病の人が何を考えているのかを知ることはできません。
もちろん、カウンセラーも、先生も、親も友達も、です。
当たり前ですね。
それはうつ病じゃなくても同じです。
心を正確に読むことなんてできません。
ですが、少なくとも、「どう考えているのか」「どのような思考パターンに陥るのか」ということは誰にでも知ることができるのです。
それは本当の声ではない
うつ病の人の頭の中、、、
みなさんはこんなイメージがないですか?
「あぁ、やる気が出ない・・・」
「あぁ、自分はダメな人間だ・・・」
「もうダメだ、死にたい・・・」
これこれ。こういうのです。
よく見聞きしますよね。でもね、これはあんまり信用しちゃダメです。
なぜなら、これらは苦しんでいる人の本当の心の声ではないからです。
本当にうつ病で苦しんでいる人っていうのは、「苦しみ」を言語化することなんてできないんですよ。
正しく言えば、うつ病で味わう苦しみっていうのは、自分以外の人が共感できるようなものだとは到底思えないほど深刻なものだ、ということです。
もっと言えば、うつ病患者は、説明不可能な苦しみを強制的に説明させられているんです。
例えば、病院とか家とか職場とかでね。
結果何が起こるかというと、うつ病を経験していない人にも共感してもらえそうな一般化された「苦しみ」を用いて自身の苦しみを表現する、ということが起こるわけです。
で、その一般化された誰にでもわかりやすい苦しみというのが、
軽度では、「やる気がでない」
中度では、「自分はダメ人間だ」
重度では、「もう死にたい」
ということになるんですね。
だから、これらの苦しみは決して、あなたの大切な人の本当の心の声ではないんです。
誤解を恐れずにいうと、
「無理矢理言わされた、妥協しつくされた心の声」
なんです。
例を挙げます。
家族「何がそんなに苦しいの?どのくらい苦しいの?」
うつ病の人「わからないけど(説明ができるほど単純じゃないし、自分がなぜこんなに苦しいのかなんて俺が一番知りたいんだ!)、自分はもうダメだと思う。(本当はもっとうまく言いたいけど、とにかくわからない、一番近いのはこれかな)」
・・・・・・。みたいなね。イメージできます?
とにかく言語化できないんです。
というか、「苦しみの言語化」ができるようになればこれは、うつ病が比較的軽いか、状態が寛解に向かっているということです。
うつ病患者の思考パターン
じゃあ、本題です。うつ病の人の思考回路はどうなっているんでしょう。
結論から言うと、うつ病に苦しむ人の思考は、多くの場合、以下の2つによって説明されます。
①自分には耐え切れそうもない!という最悪の結末の想像。
②今ある情報、今見聞きしているものを用いた、自分がその結末へ転がり落ちる論理的シナリオの創造。
です!
??????????????????????
順に説明します。
うつ病の人は、自分に起こりうる最悪の事態をいくつも探し続け、そして、その最悪の事態をシュミレーションし(ここまでが①)、
今知っていることや、見ていること、聞いていることをその最悪の事態のうちの一つと説明がつく形で、つなげようとする(②)、のです。
例えば私の場合、よく想像していた自分には耐え切れそうもない最悪の事態とは、
A:自分が自分でなくなること。(芥川龍之介の言う狂人のような感じ。いわゆる、気が触れた状態)
B:自分はこれから一生、泣いたり笑ったり感動したりすることが不可能になること。
C:全ての人に見捨てられること。
でした。実際にこんな事態を迎えたわけではありませんが、1日のうち数百回は、この結果を想像し続け、その恐怖におびえていました。
ちなみに最初はCだけだったのが、やがてAとBを刷り込んでしまった(というかさせられてしまった)のです。
ここまでが①(最悪の結末の想像)です。
続いては②(論理的シナリオの創造)です。
時計を見る→もう深夜の2時だ→寝ないと頭の疲れが取れない→昨日も全然寝ていないのに・・・→このままずっと疲れが取れないと頭が変になるかもしれない→自分が自分でなくなるかもしれない(A)
TVをダラダラと観る→昔好きだった作家さんの本が紹介されている→今は全然興味がわかない→以前はあれほど好きでむさぼるように読んだのに→あんな満たされた時間はもう訪れないのかもしれない→自分はこれから一生、泣いたり笑ったり感動したりすることが不可能なのかもしれない(B)
今日は月曜日だ→世間の人は頑張って仕事してるんだよなぁ→それなのに俺って何してるんだろ→こんな俺に価値があるのかな→価値のない人間は相手にされないよな→それって家族といえども一緒なんじゃないかな→みんなに見捨てられるんじゃないかな(C)
とまぁ、書いてて辛くなりますが、リアルにこんな感じです。
とにかく、いくつかの最悪の結果と、今ここの現実をこじつけようとする営みが、絶えず続いていると思っていただけたらいいです。
そして大前提ですが、これらの思考は、当然本人の意思とは関係なくなされます(これめちゃくちゃ大事)。
言葉を換えれば、考えたくもないのに、こういう風に考えさせられるんです。
そういう病気なんですね。ほとんど拷問ですよ、本当に。
ご覧のように、
うつ病の人は、(本人的には)けっこう論理的に、けっこう具体的に、絶望しています。
もちろんめちゃくちゃな論の飛躍はありますよ。
だって、少々寝なくたって理性が崩壊するなんてことはないんですから。
科学的に考えれば荒唐無稽なんです。
でもね、大事なのは、当の本人は大まじめに「そうかもしれない!」「この最悪のシナリオはありうる」と思っているということです。
だからこそ、絶望するんですよ。
それを、「そんなわけないよww」っていうのは、慰めでもなんでもありません。
そんなことをすれば、一目散に自分の殻に閉じこもり、心は離れ、事態は一層深刻化していくでしょう。
※私がこうやって思考パターンを振り返って、その内容まで言語化できるのは、私がうつ病から脱しているからです。いくら、本人が論理的に絶望しているとはいえ、絶望とは混乱を内包しているものですし、ここでいうA、B、Cという結果、そしてそれに向かうシナリオは、説明のためにできる限り単純化したものです。実際は、その内容、数ともに膨大かつ複雑です。ですから、現実に病気の渦中にいる人が、その苦しみを語ることはほぼ不可能だと理解してください。あくまで、何を考えているかではなく、どう考えているか、に注目していただきたいのです。
まとめ
① うつ病の人が何を考えているのかを完璧に知ることは不可能だが、思考パターンはある程度わかる。
② うつ病の人の苦しみは、決して言語化できるようなものではない。
③ うつ病の人の思考は、多くの場合、最悪の結果の想像、そして、現実世界からその結果へとたどりつきそうな道順を血眼になって見つける営みである。
④ ③の思考は、セロトニンの欠如によって自分の意思に反した形で行われる強制的思考である。
うつ病の具体的な治し方については、また後日書きます。
ではまた!!
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